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東北地方環境事務所

アクティブ・レンジャー日記 [東北地区]

『僕たちの気仙町』魅力発信~陸前高田市気仙小学校

2021年10月25日
大船渡 坂本麻由子

皆さんこんにちは。大船渡自然保護官事務所の坂本です。

10月の長雨が明け、すっきりとした秋晴で空に吸い込まれそうな三陸です。

岩手県陸前高田市広田小学校でみちのく潮風トレイルを題材にした出前授業をご紹介してきましたが、この秋同市内の別の小学校でも授業に取り入れたいというお話をいただき、2週続けてみちのく潮風トレイル授業に行ってきたのでご紹介します。

陸前高田市気仙(けせん)小学校の6年生が取り組む「地域の魅力を発信する」授業のひとつのツールとしてみちのく潮風トレイルを活用します。

気仙小学校は東日本大震災で全壊、2019年に気仙町の今泉地区に造成した高台に移転整備されました。壊滅的な被害を受けた陸前高田市は街全体の土地造成から長い間かけて行われていたため、気仙小学校の完成は岩手県の公立学校再建の中では一番最後でした。今回の授業の主役6年生は男子7、女子2の9名のクラスです。

私が出向く前から授業の中でみちのく潮風トレイルの勉強をしていたという6年生のために、担任の先生から「実際のハイカーに会えないかしら」というご要望があったので、昨年全線踏破されたみちのく潮風トレイルを管理運営しているみちのくトレイルクラブの加藤正芳理事においでいただき、歩いたときの装備やみちのく潮風トレイルの魅力などお話いただきました。

その中で加藤さんに「陸前高田市の印象」を聞いてみたところ、震災直後に同市を訪れた時の街の姿やその後の復興進度を見ての感想などに加え、"気仙大工"や"けんか七夕"などの歴史・伝統のお話がありました。外の

人からみた陸前高田の印象を聞き、彼らにとっては当たり前の地元ネタが"魅力"として認められているんだと、自信・誇りに繋がったのではないでしょうか。

最後に加藤さんへみんなからの質問タイムが設けられ、賑やかな時間が教室に流れました。用紙いっぱいに真剣にメモを取っていたみんな、何を感じ取ってくれたでしょうか。

その翌週、みちのく潮風トレイルの気仙町ルートを実地体験しました。実は気仙町を通るルートはほんの5キロほどで、気仙小学校もルートから少し外れています。しかしせっかく陸前高田市に来てくれる人や気仙町を歩いて通ってくれるハイカーに、気仙町の魅力を知って帰ってほしいという思いで、まずは公式ルートを実際歩き、どんな魅力が隠れているかみんなで探そうという授業です。

(左)小学校から公式ルートまでは新しくできた避難路を下りました。気仙川河口脇に見える建物は震災遺構になっている旧気仙中学校校舎です。

(右)漁港を通れば地元の漁師さんたち皆さん声をかけてくれました。地域の宝である子どもたちが地元の勉強をしている姿は応援したくなりますよね。

(左)今は生徒一人に一台タブレットが支給されています。いいなと思ったものをじゃんじゃん撮影していきます。

(右)この地出身という担任の先生がルートを逸れておもしろい道を案内してくれました。秘密基地に繋がるようなワクワクする小道、先生が子どもの頃よく遊んだ道だそうです。

(左)途中お食事中のシカに遭遇した場面ではもちろんタブレットで撮影会です。シカも逃げずにモデルをしてくれました。

(右)昔ながらの防波堤からは海がよく見えます。みんな揃って寄りかかり、漁港から出て行こうとする船となにやら大声でやり取りしていました。


(左)公式ルートから少し逸れたところには歴史を物語る史跡が点在しています。後に鉄砲隊となる足軽たちの住居跡について先生が説明しているところです。

(右)最後の浜では、自由に遊ぶ時間を先生が用意していました。震災後海と少し疎遠にならざるを得ない雰囲気の中育ってきた彼ら、先生はこうした時間を過ごさせたいと思ってこられたようです。男子たちはカニ探しに夢中でした。

気仙小学校の生徒たちはこの他にも様々な地域学を行っているそうです。気仙町の今泉地区は江戸時代は仙台藩気仙郡の行政中心地で、河川や街道の交通要所でもありとても重要な土地でした。気仙大工による立派なお屋敷が狭い路地をはさんでひしめき合うように建ち並び、幼い頃に訪れた私にも「どこか他と違うまち」という印象でした。津波で壊滅したこの地区の今はその当時を思い出すのが困難なほどきれいに整地された状態です。物として残せなかった歴史は記録し、そして語り継ぐことが必要です。未来を背負って立つ子どもたちが学ぶ地域学に、まだ始まったばかりのみちのく潮風トレイルが活用されて嬉しく思いながら、50年後100年後にこのトレイルにも語り継ぐ歴史ができているのかな...と遠い目。気が早いですね。子どもたちに負けないよう、私も地域についてもっと深く調べ、微力であっても伝えていきたいと思っています。