アクティブ・レンジャー日記 [東北地区]
斎藤主と目屋(めや)っ子の自然観察会
2021年05月26日西目屋自然保護官事務所の神です。
青森県はまだ梅雨入りしていないのに、恵みの雨が多いこの頃です。
白神山地は今が新緑真っ盛り!
今日は皆さんに西目屋小学校の自然観察会の様子を見て
ほっこりとした気持ちになっていただけたらなぁと思います。
西目屋小学校では、毎年4年生の総合学習の時間に白神山地に生息している
植物や生物等の観察会を弘前大学の「白神自然観察園」で行っております。
自然観察園の場所は、白神山地へ向かう途中に「不識の塔」(ふしきのとう)
と呼ばれる塔があるのですが、この塔へ続く遊歩道が自然観察園となっています。
白神山地世界遺産センター(西目屋館)から、暗門の滝方向(白神山地)に
向かって20分ほど走ると、左手側に尾太岳と何やら鉄骨で囲まれた物体が見えてきます。
白神山地を訪れたことがある人は、「何だあれは?」
と気になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この鉄骨で囲われた中に「不識の塔」があります。
この不識の塔の説明をする前に、少し斎藤主(つかさ)という人物についてご紹介したと思います。
斎藤主は幕末の弘前藩士の家に生まれ、明治になると北は北海道、南は九州までを
股に掛け土木事業を生業に成功を治めた人物・・・と
簡単に言えばそうなのですが、一括りには出来ない面白い人物です。
(ここでは語り尽くせませんので割愛いたしますね。)
その彼が縁もゆかりもない西目屋村と関わるきっかけとなったのが、
明治35年に起こった大凶作です。
この年は旭川市で-41℃と日本で史上最低気温を出し、
青森県ではあの有名な八甲田山雪中行軍の大遭難事故が起きた年でもあります。
当時、津軽地区では、とりわけ西目屋村の状態はひどく、
その惨状を聞いた斎藤主は多額の寄付を申し出、村の救済に乗り出しました。
彼は、ただ寄付をするだけでは一時は良いが、いずれまた飢饉が
あれば同じ状態になってしまう。事業として成り立たなければ
自立した生活ができないだろうと考えました。
そこで今の不識の塔の周辺一帯を買い、開墾を手伝った村人に賃金を支払い
事業として開拓を始めました。
不識の塔はその開拓事業の記念として建てられたものなんです。
(主は自分の死後、遺体は永久保存しこの塔の下に埋葬するよう遺言しました。
昭和55年に改葬されて、現在はここには眠っておりませんが・・・。)
また、それだけではなく暗門の滝の素晴らしさに観光地としての価値を見出し、
観光事業にも力を入れようと、険しい山道を切り開き暗門までの道を開通させました。
今で言うDMOを明治の時代に、行おうとしていた人物なのです。
意図せず「自ら稼ぎ出す地域」に西目屋村を導こうとしていたんですね。
彼の遺訓(家訓)の中の一つに「自分にて得たる金の幾分かは、公共の事にも投資すべし、
金多く貯蓄するのみは、人生の幸福にあらざるものと思うべし。」
というのがあります。西目屋村を救済しようとしたのもこの精神があったからなんですね。
さて、斎藤主の話はこのくらいにして観察会の様子をウォッチングしてみましょう。
自然観察園に着いたら、まずは研究棟事務所で所定の手続きを済ませます。
(入山目的や代表者の連絡先など記入します。)
講師は長年にわたり、元アクティブレンジャーだった谷口さんが務めており
子供達から「のっぽさん」と呼ばれています。
今回の目的は、事前学習で見つけたい物をマス目表(ビンゴ形式)に記入し、
実際に見つけたら○印を付け、たて・よこ・斜めのビンゴを完成させます。
ゲーム感覚で学習出来るので、子供達もやる気満々です。
子供達は一体、何を書いているのかちょっとボードを覗いてみますね。
なんと30種類くらいマス目に書き出していました。
ビンゴが何個できるか楽しみです。
殻付きは、なかなかお目にかかれないので、ナイスタイミングでした。
実際に、見たり聞いたり触ったり、五感をフルに使って学習できる環境が、
すぐ近くにあるって羨ましいですよね。
「自然界の不思議」に触れることで、自然環境や保護について興味を持ってもらえたら嬉しいです。
自然観察園の近くには、もう一つ不思議な建物があります。
お寺なんですが、ちょっと変わっていませんか?
よく見るとレンガ造りとなっていますよね。
そう、これは日本でも珍しいレンガ造りのお寺なんです。
(レンガのお寺は全国でここだけだと聞いています。)
これも斎藤主が晩年、僧侶の修業をしていた時に上杉謙信ゆかりのお寺
(米沢市:広泰寺)が廃寺寸前なので、跡目を引き継いでくれないか
と勧められ、仏像仏具を西目屋村に移し再興したお寺なんです。
中は非公開ですが居住スペースがあり、お風呂(五右衛門風呂)や台所、
囲炉裏等があり県産のヒバが使われています。
現在の建物は平成11年に、改修されましたがレンガは当時のものを使用したそうです。
西目屋村は自然遺産だけじゃなく、歴史的にも文化的にも面白い所なのです。
津軽ダムの底からは、縄文土器(縄文初期~晩期までの土器が約15,000箱余り)
が出土しています。(現在、県の埋蔵センターに保管)
太古の昔から、自然と人間がこの地で共存してきた証拠ですね。
今日は西目屋村の子供達とちょっぴり村の歴史もご紹介しました。